4月 園芸家の悩み
夜中に雨戸を叩き付けるような大量の雨が降ったが朝にはやみ、窓をあけるとヤマボウシやモッコウバラの枝にたくさんの水の粒が、すがすがしい朝日を浴びてキラキラ光っていた。雨の重みでダランと頭を垂れたハナニラが、爽やかな風になびいてさらさらと揺れている。
雨の力は偉大だ。雨が降った翌日の庭の様子を見ると、いつもそう思う。いくらジョーロやホースで水をやっても、このようにはいかない。しっかりと潤った大地からにょきにょき伸び出した新芽たちは、目に見えるようないきおいで、グーンと伸びて来ている、そんな気がする。
我が家の畑庭では、2月に植えた種芋がそのクシュクシュの新芽をさらに伸ばし始め、間引きの頃合いだ。フェンスに絡まった藤は、今年も見事な花房をたくさんぶら下げちらほら花を咲かせ始めた。庭のあちこちから、播いた記憶のないコリアンダーやイラリアンパセリやシソが顔を出し、昨年株分けしたアスパラも唐突にその頭で土を押し分けて地上に現れた。この時期新しい小さな命達が一斉に芽を吹き、それは何とも言えない満たされた気持ちになる。そして、その播いた記憶のない小さな命達をせっせと掘り上げては小さなポットに植え付ける。
先日友人と、植える場所がなくなる原因について話した。「なぜ、いつも植える場所を探すのか?」理由は3つ。1つは株が大きくなりすぎ、株分けをする事により同じ物が増える為。2つ目に、播いた記憶のないこぼれ種を拾っては大きく育ててしまう為。そして最後の理由は、播いた記憶のある草花の間引きの度に、間引いた子供達をまた新たに小さなポットに植え付けてしまうからではないかという結論に達した。
増やしてはどこへ植えるかに悩み、もうそろそろ株分けだ、やれこぼれ種が発芽したなどと言ってはあてもなく増やし、それが根付けばその達成感に浸り、そしてまたそれをどこへ植えようかと悩む。永遠に続く場所探しは、園芸家の性であり、また楽しみのひとつでもある。