久しぶりに畑作業をした。少し掘り返すと、何を食べてそんなに大きく成長したのか聞きたくなるくらいの太いミミズや逃げ惑うハサミムシが先頭を切って現れる。さらに掘り返すと、昨年植えていたジャガイモの残りもぽろぽろと出て来た。雑草抜きを手伝いに来てくれた友人はイモが出て来たと少し嬉しそうだ。しかしこの残された子イモは食べれる代物ではない。残念がる友人に、ならばと畑に埋めておいた里芋を掘り出し、それを茹でて食べる事にした。その後丁度の母からの電話に、畑に埋めてあったイモを食べたと言う話をしたら、放置ジャガイモを食べたと勘違いした妹が電話の向こうで「野良芋食べたの?」とかなり慌てていた。「野良芋?」。実家のある北海道ではそう呼ぶらしい。始めて聞いた言葉に幼い頃近所を徘徊していた野良犬「五右衛門」を久しぶりに思い出した。メスなのに五右衛門。彼女はどこかで飼われているらしかったが、ほぼ放れていた為、野良犬五右衛門で通っていた。我が家の周辺エリアを取り仕切る頭領で、常に何匹かの雄犬を連れ立って歩いていたのを覚えている。なるほど野良化してしまったイモにそう名をつけたのかと妙に納得した。しかし、聞くと事はそんなに単純ではないらしい。連作を避ける為違う科の野菜を植え付けたとしても、野良イモが地中に生き残る事で、そこは連作状態になってしまうとの事。それでなくともジャガイモ、ナス、トマトとナス科野菜は夏野菜のメインのくせして3〜4年は違う野菜を植えなければならない。さっさとすべての野良イモを完全に取り除かなければならなかったが、頭の中では「五右衛門のような皆をまとめてくれる頭領イモがいれば集める苦労がないのに」とおかしな想像が巡っていた。野良イモ頭領の一声で子分集結。実際そんな凄いイモいるはずがない。きっとそれぞれが自由気ままに土のなかでぬくぬく芽だしを始めている事だろう。ああ、想像している場合ではなかったようである